2012年9月28日金曜日

演奏によせてのご挨拶、解説(前奏曲集一巻)

今回のPIANOSOLIの演奏会では
前奏曲一巻全曲演奏を演奏することになりました。
ドビュッシーはこの前奏曲集を1909年の年末ぐらいから取り掛かり
一気に翌年1910年には仕上げてしまったということです。
オペラ、ペレアスとメリザンドの成功でレジオン・ドヌール賞も受賞し
(1903年)
作曲家としての評価も安定して、大家として世の中では通っていた
ドビュッシーも、このころは病気がどんどん悪くなり、
経済的にも豊かとはいえない状況にありました。
この前奏曲集第一集は、ドビュッシーの作曲のそれまで音楽語法の
集大成のような作品であるとされています。
その通り天才の煌きがあちらこちらに鏤められており
何度聴いても、演奏してもあきることなく
常に発見があり、この曲を体験することで
ドビュッシーという人の深い森の中に入っていくような、
そんな錯覚に陥るような、別世界体験をさせてくれる曲集といえましょう。

12曲にひとことずつ、小さな説明を加えてみました。


前奏曲集 第1巻
* デルフィの舞姫 - Danseuses de Delphes

ギリシャの神殿で舞う舞姫たち。
優雅なゆっくりとしたしぐさを思い浮かべます。
宗教的、瞑想的な響きの作品。

* ヴェール(帆) - Voiles

冠詞をわざわざ省いたタイトルは
この曲の解釈を二つの側面から想像するように
ミステリが秘められています。

男性名詞の場合、船にかけられる「帆」として
港に小船がゆらゆらしているような様子が目に浮かんできますし
女性名詞の場合だと「ヴェール」という題名になり
女性が頭にかぶるヴェールのことを指します。
たしかに、ゆらゆら揺れるヴェールの向こうに
見えないものがあり、そのヴェールが徐々に解けていくような展開が
想像できてそういうエロスとこの曲を
結びつけて連想することもできるような気もします。
ネット上では、その解釈をさらに展開させて
サロメ(R.STRAUSSのオペラでも有名な聖書の物語。
預言者ヨカナーンの首が欲しくてダンスをする罪深き娘)
の物語に結び付けていた演奏者のコラムもありました。

「帆」では、全音音階と五音音階が結び付けられて交互に特徴的に現れます。


* 野を渡る風 - Le vent dans la plaine

細かい分散和音が吹き渡る風そのもの。
時に突風が起こったり、風向きが変わったりしながら
通り過ぎていく様が、目に見えるようです。

* 音と香りは夕暮れの大気に漂う - Les sons et les parfums tournent dans l'air du soir
  
  夕べの諧調
  
  時が満ちるや花々は茎の上でふるえ
  芳香をあたりに放つ センサーのように
  音と匂いがたそがれの中に舞う
  憂鬱なワルツ ものうき眩暈

  花々があたりに芳香を放つ
  引き裂かれた心のように ヴィオロンが泣く 
  憂鬱なワルツ ものうき眩暈
  巨大な祭壇のような 空が悲しく美しい 

  引き裂かれた心のように ヴィオロンが泣く 
  か弱い心が恐れるのは暗黒の虚無
  巨大な祭壇のような 空が悲しく美しい 
  日は沈み 凝固した血の色に染まる

  か弱い心が恐れるのは暗黒の虚無
  追い求めるは輝く過去のひとこま
  日は沈み 凝固した血の色に染まる
  汝の面影は我が心に輝く 聖なるイメージのように

ドビュッシーはこのボードレールの詩から
タイトルを引用したと言われています。

ヨーロッパに居て空を眺めていると
特にはっと思わせられる時があるのです。
夕暮れから闇に変わっていくまでの時間の
空の色の変化の美しさ、その色の変化に
呼応するように漂い始める花々の香り、
そういう情景が目をつぶるとまぶたの裏に
立ち上ってくるような作品。

* アナカプリの丘 - Les collines d'Anacapri
イタリアのナポリ湾に面した丘にアナカプリというところが
あるそうです。太陽がきらきらしているような、
南の南の燦燦とした明るさ、
真ん中のしどけない感じのリズムは
(わたしの師はハバネラを想像すると弾きやすくなると
言ってましたが)小さな踊り、なにかラテンの雰囲気です。
夏休み、海水浴、
(ピナコラーダとか。そこまで行くと
行き過ぎですから慌てて戻ってこなくては
なりませんが)
そんなイメージも浮かんできてしまいます。^^;

* 雪の上の足跡 - Des pas sur la neige

この曲を弾いていると、日本の音大生時代に勉強した
ドビュッシーが作曲した歌曲ビリティスの歌の中の
「ナイアードの墓」を思い浮かべてしまう。
あれも確か冬景色だったと思う。
(うろ覚えだったので今、調べてみたらやはりそうであった)
はっきりと記憶に残る体の芯から寒さを思い出させる音。
真っ白な雪景色と、灰色の空、
この情景が、DEEFの最初の4音で寒々と
伝わってきてしまうのだから。
雪を踏みしめる時にする、
きしんだ音にも
聴こえてくるような気がします。
モノクロームの世界。

* 西風の見たもの - Ce qu'a vu le vent d'ouest

同じ風でも、3番の野を渡る風の風とは大分雰囲気が違って
生き物のようで、かなりの激しさと不気味さを持って
荒れ狂う強風を想像します。
テクニック的にもかなり弾きづらく、難曲ですが
演奏効果は抜群、弾き甲斐のある曲です。

* 亜麻色の髪の乙女 - La fille aux cheveux de lin

小学生の時から知っていた、つまり誰もが知っているような
名曲アルバム系の名曲ですね。
大学生になってから、これがこの前奏曲集の中に
収まっていると知ってとても不思議な気持ちが
しました。西風の後に来ると素晴らしい癒しになります。
この曲の配置がスタイリッシュな獅子座のドビュッシーらしい
選択だなあとまさに納得。

* とだえたセレナード - La serenade interrompue

ギターを試しに
つまびいている感じの音形が並んでいきながら曲が始まります。
スペイン風のセレナーデ。
とだえた、というのは、最初の試し引きのような
部分が何回か途中に入ってくるから
そのことを言っているのでしょうか。

* 沈める寺 - La cathedrale engloutie

ブルターニュ地方に伝わる伝説、沈んだ街イスの物語を
思い浮かべながら聴くと、荘厳な大きなカテドラルが
徐々に姿を現し、カテドラルから響き渡る賛美歌の響き、教会の鐘の音
が聴こえてきます。目の前にそれはパノラマのように聳え立ち、また静かに
海中へとゆっくり沈んでいきます。

* パックの踊り - La danse de Puck

パックというのは、
シェークスピアの「真夏の夜の夢」に現れる気ままで移り気で皮肉
で空気のように捕らえることのできない妖精のことだそうです。
飛んだり跳ねたりしてつかまえようとする誰か(例えばあなた)を
翻弄して、最後には飛び去ってしまいます。

* ミンストレル - Minstrels

ミンストレルというのは吟遊詩人とも言われていますが、ドビュッシー
のこのプレリュードは、19世紀から20世紀初頭にかけてアメリカで
はやった興行の一座を指しているそうです。彼らは顔を黒く塗り、歌っ
たり、手品をしながらアメリカ中を回ったそうです。ドビュッシーも、
1905年にイギリスでこれを実際に見たことがあるらしい。

おどけたような陽気なリズムが
同じく黒人音楽を模倣した「ゴリヴォーグのケークウォーク」
などを彷彿とさせます。

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長いので集中力をしっかり保って
演奏することが今回の最大の課題になりそうです。

皆様のお耳があくびしませんよう
がんばりたいと思います。

梅谷初

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