2015年2月19日木曜日

フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ作曲: 「夏の名残りのばら」による幻想曲 ホ長調 作品15 ほか 演奏者 滝村乃絵子

フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ:
「夏の名残りのばら」による幻想曲 ホ長調 作品15
あまり名の知られないこの曲は1827年に作曲される。アイルランドの国民的詩人、兼作曲家のトーマス・ムーア(1779-1852)の詩によるアイルランド民謡《夏の名残りのばら》が基になっている。この優雅でセンチメンタルな民謡は多くの作曲家によってもテーマに採り上げられ、ベートーヴェンのフルートとピアノのための変奏曲作品105やフロトーの歌劇「マルタ」の中でも旋律を聴くことができる。
曲想に関しては、冒頭の歌の始まる前にまず、一音ずつ長く保たれた、ハープを思わせるホ短調のアルペジオの和音が鳴り響く。ゆっくりと音が消え去ると同時に始まるホ長調の美しい民謡。歌を歌い終えると、この幻想曲の中心である、テーマとは対照的なホ短調のプレスト・アジタート(急速に、激して)の勢いに音楽は一掃される。この熱狂的で興奮した空気は曲の中盤のレチタティーヴォ(朗唱)や終盤に短く現れる民謡のテーマによって一時中断される。最後にメンデルスゾーンはコーダ(終結部)を書き加え、そこには思い出のようにゆっくりと歌を再びホ長調で折り込んでいる。この作品の中のホ短調のプレスト・アジタートやホ長調の叙情的な曲想は後のメンデルスゾーンの集大成でもある「無言歌集」でも多く見られることになる。

今回のテーマ、「世界の音楽」にちなんで誰もが耳にしたことのあるアイルランドの民謡を取り入れたかったのが選曲の理由。ドイツの作曲家メンデルスゾーンが旅先での感動をこの1曲にまとめました。国は違っても感動する心は共通する、ということは時代を超えても受け継いでいかれるものではないでしょうか。しかし、この美しい民謡をこれほど激しく即興的かつ明瞭に展開させるメンデルスゾーン、さすが天才音楽家だと思いました。

アストル・ピアソラ:アディオス・ノニーノ「タンゴ・ラプソディ」
「アディオス・ノニーノ(さよなら、父さん)」は、アルゼンチンの作曲家でバンドネオン奏者のアストル・ピアソラによる1960年の代表曲。1959年に亡くなったピアソラの父に捧げられた。ピアソラは父、ノニーノのことを敬愛・尊敬しており、タンゴを聞かせてくれたのも父、貧しい中バンドネオンを買い与えてくれたのも父でした。つまりは音楽的な意味でも父親だったといえます。
1958年ピアソラがニューヨークを拠点にやや不遇でありながらアメリカで活動していた時のこと。メキシコでの2ステージに臨む最中、前半を終え、休憩時間に父の訃報を知る。
最愛の父親を失いながらも、後半のステージを執り行います。その後、ニューヨークに戻ったピアソラは自室にこもります。息子ダニエルはこう語っています。
「父は、しばらく一人にしてくれと私達に頼んだ。私達は台所に入った。初めのうちは全く静かで、それから間をおいてピアノを弾くのが聞こえた。それは悲しい、恐ろしいまでに悲しいメロディだった。」

こうして生まれたのが生涯引き続けられていく代表作、「アディオス・ノニーノ」です。
こうして生まれたこの曲は、当初冒頭のピアノソロはありませんでした。
19695重奏団を再結成するとき、ピアニストとしてジャズ畑で活躍していた「ダンテ・アミカレリ」が加入します。手が小さい分、類稀なるテクニックを有していたピアニストで、「初めて見る楽譜もスラスラ弾いていしまう」という評判でした。いたずら好きのピアソラはいろいろ難題をふっかけますが、あっさり弾いてしまいます。余計に怒ったピアソラは、「明日のためにピアノソロを書いておくから、もしそれが初見で弾けたら、おれは音楽家なんかやめて、残りの人生は編み物でもして過ごすよ。」とったそうです。次の日、集まったメンバーたちの前で、落ち着き払った態度でアミカレリはメロディーを弾き始めます。あまりの美しさに、メンバーたちも聞き入ってしまった…
それが「アディオス・ノニーノ」の新編曲だったわけです。

今日いろいろな編成で演奏されていますが、今回はピアノ・ソロバージョンです。多くを表現するのにはかなり無理がありますが、少しでもピアソラの世界を皆様に楽しんでいただけたら、と思います。

滝村乃絵子







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